大分支社 第2営業所
山田 新悟SHINGO YAMADA
〒870-0029 大分県大分市高砂町2-50OASISひろば21 9F
山田 新悟(やまだ しんご)
『新悟』は父親が、日々新しいことを悟れるようにとの思いで付けてくれました。「珍しい漢字の組み合わせですね」とよく言われます。
小学校1年生の時に父親(花園出場経験有)の影響で2つ年上の兄と地元のラグビースクールに通うことになりました。毎週日曜日の午前中、当時大好きだった『キン肉マン』『仮面ライダー』を我慢して、通いました。中学校はラグビー部がなく体力作りのため、陸上部に所属。高校でラグビーを再開し、経験者と言うこともあり運よく1年からレギュラーとして出場。
高校1年生の夏、保育園からの同級生に「NZ(ニュージーランド)に語学留学に行かないか」と誘われ、<All・Blacks>の名称で有名な世界ランク1位のラグビー先進国で約1ヶ月、英語とラグビーを学ぶ貴重な経験をさせてもらいました。
この経験が当時、大学進学を全く意識していなかった私にとって、大阪外国語大学への進学を決める大きな要因となりました。大学に入り、ロシア語やアイヌ文化を学びながら体育会ラグビー部に所属。2年生の時に再びNZへ1週間、ラグビー留学。2度も留学に行かせてくれた両親には、とっても感謝しています。小学校の時から12年間続けたラグビーが体力はもちろん、精神力、適応力の基礎となり、さまざまな人との出会いに繋がって今に至ります。
ポジション
ラグビーばっかりしていたので、遅ればせながら大学4年の夏初めて就職課へ行き、目に留まった㈱三省堂。
卒業論文でロシアとアイヌ文化を研究していた私にとって毎日のように手にしていた『金田一京介全集』を発行している出版社として勝手に運命を感じ、就職。大阪支社にて主に辞書・教科書の営業をする。辞書の使い方や教科書の賢い使い方等、教育業界で6年間勤めていた経験が、長男と次男の中学受験にも役立ちました。
そんな中、妻が一人娘で地元は大分県、将来は大分で暮らす計画で、日々楽しく過ごしていたが、自身の好きな場所で仕事と生活が出来る、夢のような会社・ソニー生命保険に巡り合い、転職。大阪の支社で3年7か月、そこからフリーエージェント制度(プロ野球選手のような制度)を利用し大分支社へ移動。
全国47都道府県中、30都府県に契約者の輪を紹介で拡げ、今年で12年目を迎えます。定年退職の年齢制限が無い会社ですので、70歳まで健康に留意して現役を続け、お客さまと共に豊かな人生を楽しもうと心に決めています。
2008年の春、新卒から7年目を迎え教育関係専門の出版社、(株)三省堂からソニー生命保険に転職することを決めた時、銀行出身(旧三菱銀行)の専務から本社・東京まで呼ばれ「金融機関のような厳しい世界への転職は止めた方が良い。なんでこんな良い会社を辞める必要があるんだ?」と経験談を交えて説得され、同僚や先輩からも「絶対後悔するから、止めとけよ。」や「失敗したら戻って来いよ!」と言われ、直属の上司からは「気持ちが変わることもあるから」とその日以来退職日まで毎日飲みに連れて行かれました。今思えば、とても有難いことです。両親や兄からも「はっきり言って、反対。良く考えた方が良いよ。」と言われてしまい、応援してくれたのは妻だけ。本音はめちゃくちゃ不安だったそうですが。
そして、私は後悔しました。
こんなことだったら・・・・
「もっと早く転職していれば良かった~!!」
会社都合の転勤や赴任は無く、自分で決めた場所に住むことが出来る。大学時代から慣れ親しんだ大阪の支社でまず3年7か月お世話になり、長男が小学校に進学するタイミングで妻の地元・大分の支社へFA(フリーエージェント)。プロ野球選手でもないのに、自分自身が選んだ支社に変わることが出来る。1人娘の妻と結婚してから、ず~っと悩んでいたことを解消することが出来たその時は、まるで夢のようでした。それにも増して、転職後に出会った方々から「もっと早く山田くんと出会いたかった~」と言われる度に嬉しくて嬉しくて、もっともっと勉強して貢献出来る担当者になろうと思えました。
前職、三省堂での仕事は私にとってとてもやり甲斐があり、人間味ある素晴らしい方たちとの出会いの場でした。ただ、やはりキャリアを積んで行けば転勤は付きもの。本社は東京都千代田区(東京ドーム目の前のJR水道橋駅すぐ)なので、子どもの年齢によっては単身赴任も当然あり得る。上司や先輩、同僚や親からの反対を押し切ってもチャレンジする理由が私にはありました。
そして、今年2022年の8月で丸14年を迎え、15年目に入ります。転職した時は妻と長男・次男の4人家族でしたが、転職して大阪時代に長女が生まれ、大分に来てから次女が生まれ、一昨年からブリーダー犬としての役目を終えたヨークシャー・テリアの『さくら』を譲り受け、賑やかな毎日を過ごしています。現在は前職の強みを活かした『教育』とファイナンシャルプランナーの資格を活かした『資産形成』に特化して活動しています。それぞれコラムや小冊子を随時作成更新していますので、よければ覗いてください。
そして、そんな私とソニー生命との意外な縁
ソニー生命保険(株)のファウンダーでありソニー(株)の創業者である世界的実業家の盛田昭夫氏の妻は(株)三省堂の創業家・亀井家のご息女、亀井良子さんだったんです。繋がってないようで、とっても深く繋がっている会社に転職したなんて、縁を感じました。それと、盛田昭夫氏の出身校は大阪帝国大学(理学部物理学科)、私は大阪外国語大学(ロシア語学科)。2007年10月、私がソニー生命に転職するおよそ1年前に両校は統合し、それ以来、私の母校は大阪大学(外国語学部)になりました。少しこじつけっぽいですが、やっぱり縁を感じます。転職して気づいた、2つの意外な縁でした。
ヨークシャテリアのブリーダー犬として、4頭の赤ちゃんを出産後、我が家へ来ました。
とてもおとなしくて、賢く、愛らしい!
すっかり我が家の一員です!!
毎日のんびり過ごしているさくらに家族皆が癒されています。
長男出産から10年間、専業主婦をしていた妻がこれから長く続けられる仕事がしたいという想いから、学研教室を始めました。
わが子3人からスタートした学研教室、2年で33人まで増えて、とてもやり甲斐があり、毎日の生活にも張り合いが生まれているようです。
週に3日教室を開設していますが、それ以外の日に1人1人に対してしっかりと準備をしているようで、評判も良く口コミで問い合わせがあるようです。最近は英語を早くから始めたいというお子さんが多いようで、時代の流れを感じます。