松本幹哉|営業所長
営業所長 松本幹哉の全て
プロフィール
営業所長 松本幹哉(まつもとみきや)Mikiya Matsumoto
1971年2月18日
栃木県小山市で生まれました。
栃木県小山市立網戸小学校
プロ野球選手を目指していた野球少年。ものすごく小さい学校だったが、児童会長を務める。
栃木県小山市立間々田中学校
野球部で頑張るも、レギュラーになれず挫折を味わう。勉強もスポーツもできる硬派な男を目指す。
足利学園高等学校卒(現在 白鴎大学足利高等学校)
受験勉強を継続してできない。一人暮らしに憧れていた。
代々木ゼミナール代々木校
家を飛び出す方法として、東京赤羽で新聞奨学生になりました。
茨城大学人文学部社会科学科卒
妻と付き合いはじめました。19歳からの付き合いなので、もうすぐ30年の付き合い。
三井海上火災保険株式会社(現在 三井住友海上火災保険)入社
とにかく役員になろうと、がむしゃらに仕事をしていました。
ソニー生命保険株式会社入社
ライフプランナーになりました。
楽しみながら、仕事に取り組んでいます。お客様に支えていただいて今があると思っています。 2019年 営業所長に就任


<資格>
日本ファイナンシャル・プランナーズ協会会員(AFP)

<家族>
妻 あつ子  娘 いずみ
妻の旧姓が「泉」でしたので、付き合っているときから、泉と呼んでいました。
娘の名前はいろいろ考えましたが、やはりひらがなで、「いずみ」にしようと、私も妻も全く同じタイミングで決断し 「いずみ」と名付けました。
何せ、妻と19歳の時から付き合いだし、娘が生まれる30歳まで、ずっと「泉」と呼んでいたので、娘が生まれた後しばらくの間は、妻を「泉」か「君」、娘を「いずみちゃん」と呼んでいました。
<趣味>
中学校まで野球部に所属していました。小学校の時は父の影響で巨人友の会に入っていて、原辰徳のカンペンケースをつかって、巨人軍を目指していました。
江川VS掛布の対決を手に汗をにぎって観ていたのを覚えています。王貞治のホームランボールをあと少しでキャッチできそうだった瞬間は昨日のことのように覚えています。
大学ではゴルフサークルにて、キャディのバイトに力を注ぎました。プロのトーナメントのバイトにもよくいって、ジャンボ尾崎が全盛期だった時に、ギャラリー整理のバイトもしていました。
当時、先輩が中嶋常幸がホールインワンで700万円を獲得した時にキャディをやっていました。
<座右の銘>
 「実直」 誠実に、正直に、が信条です。