マサさん勇気の出る
感動の言葉セレクション

「量は質に転換する」

「量は質に転換する」
初期段階は、まず量が重要です。
いろいろな理屈を考えても、
量の多い人にはかなわない。
デッサンを五十枚しか描かない人と、
五千枚描いても
まだ描き続ける人では、
エネルギーが違う。
ひたすら書き続けた
画家のゴッホの腕は、
炭鉱労働者のような
筋肉質をしていたそうです。
デッサンも最初はあまりよくなかった。
一日に五人しか訪問しない人と、
一日に五十人訪問する人では
エネルギーが違う。
ただいくら多く訪問しても、
あまり意味がない。
問題は中身(質)だという人が
結構います。
でも質は主観の問題ですが、
量は誰が見ても多いものは多い。
活動量の多いことが基本である。
そして・・・
量はあるとき必ず質に転換する。
成功の近道は、活動量です。
そして、量が質に転換して、
普通の人は量をこなさなくなる。
そして、うまく行かない時に
出てくる言葉はグチばかり・・・
量が質に転換しても、
まだ量をこなし続ける人が、
成功している人です。
手塚治虫は、死ぬまで描き続けた!!
山本 正明

「松下幸之助 道をひらく」

「松下幸之助 道をひらく」

「ピンチの裏側」

「ピンチの裏側」

「困難に出会っても」

困難に出会っても

決してあきらめてはいけない

目の付け所を変えてみよう

人の知恵を借りてみよう

打つ手というのは無限だ

本気にさえなれば

かならず打つ手は出てくる

今が限界ではない

決してあきらめてはいけない

「この世には二つに一つの選択しかない」

この世には二つに一つの選択しかない
あきらめて生きるか
挑戦し続けて生きるか
あきらめて生きている人が
あまりにも多い
自分に妥協し、自分を偽り
他人のせいにして言い訳を言い続け
弱音をはいてあわれみを乞い人生を生きている
あきらめ・・・何と安易な言葉だろう
挑戦こそが人生だ
困難にあえて挑戦し困難を乗り越え
自分らしく生きる
挑戦するから命が燃える
挑戦するから魂が生きている
挑戦こそが新しい道を切り開く
山本 正明

「ひとつ」

一枚のハガキ
心を伝え

一本の電話
心をつなぎ

一枝の草花
心をいやし

一言の言葉
心をすくい

一人の笑顔
心をひらく

たったひとつであるけれど
ひとつがなかれば 始まらない

山本正明より
〜家族への思いを綴った手紙

10年後のあなたへ大丈夫 (2017,10)

2027年10月、68歳の君へ。

前職の間組の20年を超え
ソニー生命で24年目を迎えました。

元気に営業をし人材育成、後継者育成をしています。

この10年
健康の事、妻の事、4人の子供の事、出版の事、趣味の事
たくさんの出来事がおこります。

でも大丈夫です。

体重も80㎏になり、毎週ゴルフ。
海外旅行にもあちこち飛び回り、
講演会で業界をけん引しているあなたがいます。

4人の子供も結婚し、孫も8人でき
妻と多忙な日々を、楽しい日々をすごしているでしょう。

「人生はドラマ、人は皆役者」の名言通り
自分を見事に輝かせて すばらしい人生を歩んでいるでしょう。

愛する4人の子供たちへ

2017年10月8日
修平君の20歳の前撮りの日。その日がいよいよやってきましたね。
それがどんな意味を持つか分かっていますか?

家族写真

里佳ちゃん、紗希ちゃん、
達也君、修平君
4人の子供たちの誕生、
七五三、+成人式。
我が家には20枚の家族の記念写真があります。

その成人になるまでの最後の写真、
思い出の写真となります。
次は皆の結婚式の写真でしょうか。それはそれぞれ各人の思い出の写真となるでしょう。

病気になった事も、勉強が嫌いでいやいや学校に行った事も、
部活で疲れて辞めそうになった事も、
クラスに不良がいて授業が出来なかった事も、
今では良い思い出です。

本当に皆、元気で
ここまで育ってくれました。

お父さんは皆のおかげで頑張れたし
皆のおかげで成果を出す事が
できました。

ありがとう、感謝です。

この思い出の写真の一枚一枚に
その時の苦しさ、嬉しさが脳裏によみがえります。

今お父さんは、ライフプランナーという仕事をしていますが
お客様一人ひとりの思い出を共に作り上げていく伴走していく仕事です。

この20枚の写真が本当に
役立っています。
良い経験をして光っています。

本当にありがとう!

これから、挑戦の日々を送る君たち
一人ひとりが
大いに輝く事を期待して、
このレターを贈ります。

全員が幸せな人生を
贈る事を願っています。

父より

10年前の あなたへ大丈夫(2017,10)

2007年、
20年間現場監督だった君は、
ソニー生命に転職して4年目。

仕事が楽しくて
たくさんの人々に
生命保険のすばらしさを
大切さを伝えている君へ。

転職してよかったですね。

来年来るリーマンショックも
知らず一生懸命な姿。
でも大丈夫。
弟の死、両親の介護、旅立ちを
経験するでしょう。
でも大丈夫。
更なる進化を成し遂げます。

そんな中、奇跡の営業の出版、
多くの保険会社、営業会社での
講演も経験します。
スタッフが何人か辞め、
つらい思いも経験します。

社内からは妬み、嫉妬。
妻からは「仕事ばっかりして、
何が楽しいの?本当に幸せなの?」
と言われます。

でも大丈夫。

「人生はドラマ、
人は皆役者」の名言通り

今の自分の立ち位置を見事に演じ
すばらしい人生を歩んでいくでしょう!

ありがとう、 がんと闘った妻へ 2012年

10年前、阪大病院で
乳がんと宣告されたあなた。

「どないしよう・・・」と目に涙・・・・・・。
急に目の前が真っ暗になりましたね。
この事実を
お互い受け止める事が
できませんでしたね。

ただただ泣いている
あなたを抱きしめる事しか、
私には出来ませんでした。

何一つ言葉の出せなかった私の口から
やっと出た言葉は、

「何とかなる・・・」
「何とかせなあかんなあ・・・」

これだけでした・・・・・・。

そこからあなたの闘いは
始まりましたね。

腹がすわりましたね。

まず手術、
2週間の入院、
リハビリ。

一家総出の闘いでした。

その時
長女12歳、次女9歳、
長男7歳、次男5歳。
「お母さん、どうなるの?」

「大丈夫?」
家事を皆でするから大丈夫、
皆が応援しているから大丈夫、
保険に入っているから大丈夫。

主治医からシャーレに入ったがんを
見せられたとき、
憎むと思っていましたが、
むしろ感謝していました。

家族の大切さを教えてくれた事、
保険の大切さを学ばせてくれた事、
リンパにまで転移していない事が
その理由でした。

しかし、5年生存率は抗がん治療を
受ければ80%、
受けなければ50%と言われました。

そしてあなたは、抗がん治療として
放射線治療に25クール通われました。

大変でしたね。
でも、やり遂げました。

4人の子育てと闘病、
私の役割は買い物と
土日の子供の遊び相手。

たいした支援はできなかったけど、
いつもありがとうと言ってくれましたね。

こちらこそ感謝です・・・・・。

そんな大変な中、
私は平成15年9月、
ゼネコンの現場監督から
生命保険の営業へ転職しました。

まるで何か不思議な力に
引っぱられる様に・・・。

皆反対の中の転職でした。
あなたのおかげで転職を
決意することができました。

ありがとう・・・・・。

さらにがんばる事もできました。

感謝一杯です。

あれから10年、

主治医から
「基本的にはもう大丈夫です。」と言われ、
美しい笑顔を見せてくれたあなた。

10年闘ったあなた。

ありがとう、

感謝です。

ピンコロ人生だった親愛なる母さんへ 2017年

天国にいるお母さん、元気ですか?

あれから7年。
早いもんだね。

美空ひばりのテレビを見て
満足したその日の朝方
脳梗塞をおこして
誰に迷惑をかける事なく
逝ったあなた。

その時はびっくりしたけど
親戚中のみんながいうよ。
「幸せだったよね」って。

女性の80歳は少し早いけど
何の苦しみもなく迷惑をかけることなく
ピンピンコロリの人生。

母さんらしかったよって。

小さいころ言ってたよね。

一生懸命やれ。
一番になれ。
勉強もスポーツも手を抜くな。
悔やまずまずはやれ。
やりながら考えろ。

母さんの人生もまさしくそうだったね。

それがピンコロ人生のコツかもね。

3人の男の子供を出張の多かった
父にかわって
本当一生懸命に育ててくれたね。

おかげでハザマ組に勤めていた時も
ソニー生命に転職してからも
一生懸命にがんばっているよ。
いつも一番目指してがんばっているよ。

そして4人の子供も
最後の修平が今年いよいよ
20歳になったよ。

みんな立派になったよ。

私も自分の子供に
言っているよ。

一生懸命やれ。
やるからには一番目指せ。
みんないい子供に育ってくれて
本当に幸せだよ。

母さん、ありがとう。

これからも皆を見守ってね。

私の誇り、長女里佳ちゃん 2013年

平成2年3月29日、君が生まれた時、

早咲きの桜が満開で出産を祝うかのように咲いていました。

当時大阪で働いていた仕事を人にお願いして、
里佳ちゃんと母さんのいる松江までかけつけました。

そこには3,200gのかわいい里佳ちゃんがおもいっきり泣いて歓迎

里佳ちゃんが大きく育ちすぎて、
母さんは帝王切開という手術をして、
命がけで里佳ちゃんを生みました。

あれから23年、、、

大学を卒業し社会人となり、
母さんに言われました。

「里佳ちゃんにも役に立つ保険を
ちゃんとしてあげて」
生命保険は大切な人のために
かけるものですが、
君がこれから生きていく上で
自分のためにも、
特に女性は出産、乳がん年令、更年期、
長く続く老後を守るために
必要なものです。

父さんが10年前に転職してからずっと続けてきた
「出会った人に
幸せになってもらうために
精一杯応援する」
という考えを君にも聞いてもらい、
生命保険、医療保険に
加入してもらいました。

そして君は安心して管理栄養士として社会に役立つ仕事をして
早番の時は朝6時に出勤し、遅番の時は夜12時に帰って、
頑張っていますね。

皆のため生命保険、医療保険が
あなたの役に立つのは10年、20年、
30年、50年先かもしれませんが、

元気に明るく振る舞うあなたを

私はそんなあなたを誇りに思います。

私を成長させてくれた長男、達也君へ 2013年

18年前、君が生まれた時、お父さんはびっくりしました。

上の里佳ちゃん、紗希ちゃんを帝王切開で生んでいたお母さんは、
自分で大阪医大を選び、普通分娩すると意気込んでいました。

そんな事絶対無理だと思っていた
お父さんは、
臨月に入るといつでも手術の
承認をするつもりで
父さんなりに心の準備をしていました。

突然病院からの電話が鳴りました。
母さんからでした。

「元気な男の子生まれたよ!」・・・・

エーーーーーーーーーーッ!!

不可能を可能にする事件でした。
こんな時役立つ保険に
入っていたけど、
使えなくて残念ですが、
母さんの体を痛めなくてよかったのだから、
親孝行な子供が生まれてくれて、
父さんは本当に感謝します。

達也君、ありがとう。

そんな君が今年は大学受験、

絶対に国立大学に行くと決意して
2年前から猛勉強。

模擬試験の結果はいつもE判定、
まぁ一生懸命やることが大事と半分諦めてはいましたが、
通らなければ一浪してでもやる!
と言っていた君の決意には
感動しました。

それでも、もしも一浪する元気が
なくなった時のために
保険として私学も父さんが
お願いして受けてくれたね。
感謝だったよ!!

君より父さんの方が安心できたよね。
達也君ありがとう。

そして、1月18日、19日のセンター試験。

結果はよかったようでした。

2月の本試験では、自信満々の君から合格したとの言葉に
お父さんも自分の時より鼻高々でした。

君の戦う勇気、一浪してでも目標達成するという決意に
お父さんの方が元気づけられました。

保険はいざという時のために
入っておくものですが、
君にはその万一の時が
なくてよかったね。
達也君、これから山口大学での
一人暮らしが始まりますが、
これからより成長して、
日本のいや、世界のリーダーと
なれるよう、がんばってください。

そんな君が社会でも活躍する日が
はやく来ることを期待しています。
でも、もしも仕事で悩み、
未来が不安になった時、
いつでも転職できるように父さんは
今の保険会社で
実績をあげておくからね。

達也君、ありがとう。

いよいよ社会人になる紗希ちゃんへ 2014年

22年前 紗希ちゃんが
生まれる前のことです。

お姉ちゃんの里佳ちゃんを帝王切開で生んだお母さんが、
二人目は絶対下から産むのだと
大阪の茨木中を探して決めた病院、
サンタマリア病院を選んでその準備をすすめていました。

いよいよ生まれるというその日は
初夏6月1日、日曜日でした。
お父さんも仕事が休みだったので
一緒に急いで病院に入り生まれる
準備をしたその日、
先生はいませんでした。

代わりに来てくれた
先生からあっさりと、
「一人目が帝王切開なら、
二人目も当然帝王切開ですよ。」
の一言。

お母さんは反発する余裕すらなく、
お父さんも仕方なく
承諾書にサインしました。

それでも一時間後紗希ちゃんの元気な泣き声が「オギャー!」

よかった。

おばあちゃんと、長女里佳ちゃんと喜び合っていた時、
看護師さんから
「元気な女の子さんです。」
おばあちゃんと目を合わせ
「エー!!」

先生、男の子言うていたのに・・・。

でも、紗希ちゃんが元気に産まれ、
お母さんが無事であった事ですぐに
気を取り戻し、
よかった よかった と気持ちを取り戻しました。

もちろん、お母さんの入っていた
保険も役に立ちました。

そんな心配をしながら
生まれてきてくれた紗希ちゃんが、
もう卒業なんて・・・
信じられない程、月日のたつ速さを感じています。

今は理学療法士として、病院での実習、レポート、国家試験対策と
休みなしで駆け抜けようとしている紗希ちゃんをみていて
うれしい限りです。

紗希ちゃんが大学選びの時、
脳梗塞になったおじいちゃんのリハビリを見て、
「すごい仕事。若い細い女の人が皆に元気を与えられる仕事」
という理由で藍野大学を選んだ事、覚えていますか。

そんな紗希ちゃんが、
どこの病院で働いて、人のお役に立てるかまだわかりません。

そんな中で、お父さんが紗希ちゃんに
伝えたいことは、
今一生懸命やっている気持ちを、初心を、忘れないで欲しいということです。

この先、社会人となり、
色んなことがあるでしょう。
いろんな人と接すれば、あなたの嫌いな人も現れるでしょう。

そんな時、「何の為に今の仕事を
選んだのか」、
「何の為に働いているのか」の初心を忘れないで欲しいのです。

これから、結婚も、出産も、
子育てもあるでしょう。
転職もあるかもしれません。

そんな時、「何の為」を思い出し、
あるいは前向きに「何の為」を変更し
自分の人生を謳歌して欲しいのです。

お父さんのしている
ライフプランナーという仕事も、
実は人に「勇気」と「希望」と「安心」を
与える事ができる仕事なのです。

紗希ちゃん、

本当に卒業おめでとう。

紗希ちゃん、本当に
生まれてきてくれてありがとう!

青春真っただ中、輝く修平君へ 2016年

かっこよかったよ!
岡山大学合格!

お父さんの方がドキドキだったよ。

いま君は、人生って素晴らしい! 
人生って何とかなるものだ!
と思っていますよね。

そう、君なら何とかなりますよ。

毎日、プレッシャーの中で
一生懸命頑張って、この結果。

素晴らしい!

これが君の実力ですね。

でも、いつも上手くいくとは限らない
っていうことも知っていますよね。

失敗する時もあるって
知っていますよね。

君にとって人生は長い。
失敗することもあります。

失敗した時に、失敗ではなく、
それは成長のための
糧だと思って欲しいのです。

これからいろいろなことがあります。

人生はまさしく、上り坂があり、
下り坂もあるのです。

さらに「まさか」も
おこるかもしれません。

それを乗り越える、
乗り越えられる勇気を
持って欲しいのです。

ちなみにお父さんの仕事は、
その「まさか」が起こった時、
起こる前に、
どんな人生にするかを一緒に考え、
一緒に解決していく、
「人の人生を支える」
ライフプランナーという仕事なんです。

たくさんの紆余曲折があったけど、
それを乗り越えた
そんな君が大好きです!

10年前の君へ大丈夫 2013年

大丈夫

10年前の君は、

20年勤めた間組が
私的整理法の適用を受け、
奥さんからは大反対、大波の中、
不安をかかえ、
ソニー生命に転職します。

でも大丈夫

営業経験がない中、
誰もが無理だという中、
何とか船出し、
苦しい思いもたくさんしますが

無事、新人賞を達成することが
できますよ。

その後、
父の病気、介護、死、
母の病気、介護、死、
弟の死(49歳)を体験する中で
仕事が全く手につかなくなる事も
体験しますが

でも大丈夫

すべてが
今の仕事、
人生経験を培っていることに
気づかせてくれますよ。

更に4人の子供の成長に伴い
奥さんの病気、そしてトラブル
仕事に集中できない日々をすごす事もありますが、

でも大丈夫

奥さんが
あなたの人生を、さらに
華々しいいろどりあるものに
する為にした
神様のいたずらだった事に
気づきますよ

仕事がマンネリになり、
なかなか自分の殻を
破れない事もありますが

でも大丈夫

「感動塾」というものに出合い、
多忙な中、
多くの仲間が
あなたの存在を認めてくれ
自分らしく
自分流で輝くこと、
輝けることを教えてくれ

ソニー生命4000人のトップになる事が出来ますよ。

更に2013年
「奇跡の営業」という本を
出すことになり、
7万部も売れ
何とか船出し、
苦しい思いもたくさんしますが

多くの営業の方々に
あなたの苦労が、すべての人に
希望を与える事になると
分かりますよ。

勇気を持って
自信を持って
歩んで下さい

奇跡をおこせるあなただから。

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