「日本の生命保険を変えたい」ソニー生命の創業理念
ソニー創業者・盛田昭夫の心に芽生えたもの
社名が示すように、私たちはソニーから生まれた生命保険会社です。
それはソニーの創業者である盛田昭夫の夢から始まりました。1950年代の後半、盛田はトランジスタラジオを携えてアメリカに販売拠点を作るべく奔走していました。品川・御殿山にバラック工場を開設したのが1946年ですから、まだソニーが大企業とはほど遠かった頃のことです。
シカゴ市内をクルマで走る盛田の目に、そびえ立つ白亜のビルが飛び込んできました。それがアメリカ最大の生命保険会社の建物だと教えられ、盛田は驚きます。「なぜ生命保険会社があんなに大きいビルを建てられるんだ?」しかし、盛田はすぐに理解します。「そうか、あのビルは、彼らの商品であるお金の倉庫のようなモノなのだ。いつかわれわれも銀行か生命保険会社を持って、あんなビルを建てたい」。巨大なビルのイメージと共に、金融分野への進出への思いが盛田の心の中に芽生えることになります。
なにかが足りない。その答えこそが、ライフプランナーでした。
設立に向けてソニーの本社内でプロジェクトチームが発足されました。そのリーダーとなったのが、のちに「VAIO」成功の立役者になり、ソニーの社長を務めることになる安藤國威です。
当時はソニーアメリカに籍を置いていましたが、保険はまったくの素人でした。しかし、素人だからこそ顧客の側に立った発想が持てました。そして、保険先進国アメリカの巨人に対してさえ、「なにかが違う、なにかが足りない」と感じはじめたのです。確かにシステムや商品は素晴らしい。しかし、一人ひとりの顧客に適切な生命保険を提供するには、本当の意味でのプロフェッショナルを介することが必要なのではないか。そして安藤が辿り着いた答えこそ、ライフプランナーという新しい概念のプロだったのです。
理想を追い続けたソニーの思いが届いた瞬間。
基本となる保険のノウハウはむこうから取り入れる。しかし販売方法については、ソニーが独自に考え出した高度なプロ集団でのコンサルティングとすることは譲れない。こうした条件を提示した安藤は、彼らからの回答に、思わず胸を熱くします。「ただ単純に日本に持っていくということではなく、そこまで考えてくれたソニーと、ぜひパートナーシップを組みたい」。妥協することなく、理想を追い続けたソニーの思いが、生命保険業界の巨人を動かしたのです。安藤は次の瞬間、日本で成功することへの手応えを感じていました。
そして1981年4月。他業界から採用された27名のライフプランナーが誕生。これがソニー生命の第一歩でした。
世紀をまたいで、いまも変わらない創業時の思い。
それから40年以上が過ぎました。この間、ときにはお客さまからお叱りを受け、またときには励まされながら、私たちは生命保険の本質を追及してきました。その中で、本当の意味でのライフプランナー像というものを少しずつ理解してきました。しかし、まだ40年。私たちは、これからもずっと信頼を積み重ね続けていきたい、そう考えています。長く続けていくことがお客さまのためになる。生命保険会社とは、そんな性質のものだからです。
一歩目を踏み出した日の朝、新聞広告で宣伝した私たちの理念は、今も全く変わっていません。
「きょうから生命保険が変わる。ライフプランナーが変える。」