最初の就職先
社会人アメフトチームをつくるためにアパレル企業に就職
私は大学時代、「日大フェニックス」という、公式戦の勝率が9割超という驚異的な戦績を誇ったアメリカンフットボール部に所属していました(*約40年にわたって部に君臨していた鬼監督在任中当時の勝率)。
ある日、その監督のもとへ、アパレル会社から「アメフトの社会人チームをつくりたい」との相談があり、私が呼ばれました。部の責任者として監督の付き人をしていた私に白羽の矢が立ったのです。
私は、ゼロからチームを立ち上げることに大きな希望とやりがいを抱いて、その会社への入社を決めました。
ところが、肝心のチームづくりの話が何年経ってもなかなか進みません。入社から3年後、「オーナーの意向でチームはつくれなくなった」と聞かされた私は、「ならば私にもやりたいことがあるので辞めさせてください」と申し出て、それから毎週のように転職雑誌を買うようになりました。
25歳にして初めて、「自分がどんな仕事をしたいのか?」「どんな人生を歩んでいきたいのか?」と真剣に考え始めたのです。